ガーナに狂い咲く70'sカンフー魂!『アフリカン・カンフー・ナチス』!!!
いざアフリカン・カンフー・ナチス!!!!!
全く素晴らしいタイトルですね!
もし私が子供を授かるとしたらこんな名前を付けてあげたいと思います。
もうタイトルだけでAmazonの☆3億点ぐらいつけてあげたいですが、しかし世の中安心・安全を謡いながら内実が伴わない娑婆僧が多いのも事実。
ひょっとしてただの出オチか、それとも悪ふざけなのか?
実際どうなんだ!答えてくれアフリカン・カンフー・ナチス!
という訳で紹介していこうと思います。
アフリカン・カンフー・ナチス
2020年製作
監督:セバスチャン・スタイン/ニンジャマン
脚本:セバスチャン・スタイン
製作:プロデューサーマン
日独ガーナ共同制作
・あらすじ
第二次世界大戦で世界中からタコ殴りにされたヒトラーと東条英機が生きていた!
秘密裏にガーナへと逃げ延びたお騒がせコンビは、恐るべきカラテの力でガーナを支配。
人々を白塗りの"ガーナアーリア人"として洗脳し、ガーナで愛されるハードリカー『アドンコ』を昼間から浴びるように飲んでは深夜までクラブで踊り狂うなど悪逆の限りを尽くすが、地元のカンフーマスターに「なめとったらアカンぞ」とド突かれてしまうのだった。
カンフー映画の本場は今、ガーナにあり!
"ガーナアーリア人"
"アドンコ"
"黒人のゲーリング"
"アフリカでカンフー"
本作を一目見た瞬間、その強烈なビジュアルとイメージに心を掴まれるでしょう。
しかし、『師匠を殺された弟子が別のカンフーマスターに師事して復讐を果たす』という大筋は70年代にブルース・リーやジャッキー・チェンが作り上げたカンフー映画の王道。
本作はポリティカルな不謹慎ネタの宝庫ですが、同時に優れたカンフーアクション映画でもあるのです。軽快なアクションもさることながら、トンチキなビジュアルの奥底には古き良きカンフー映画の確かな骨子が感じられます。
かつて、ブルース・リーが興したカンフー映画という文化は、アジア系は勿論のこと黒人やマイノリティに属する人種から熱狂的な支持を得ました。
何故なら、アジア由来のカンフーは当時席巻していた西洋的な価値観・文化に対するカウンターカルチャーであり、偉そうな白人をぶん殴って懲らしめる最高の娯楽でもあったからです。そのため、カンフーとブルース・リーはアジアや中国といった枠組みを超えた無国籍のヒーロー像として世界に広がりました。
だから、ガーナの人々がカンフーでヒトラーのような独裁者をボコボコにするというのは全くもって正しいのです。
むしろ、資本主義の怪物みたいになっちゃった本家中国よりも、カンフー映画の旗手として、いまやガーナの方が相応しいとさえ言えるかもしれません。
劇中には主人公が師事する神秘的なカンフーマスターが2人登場しますが、不思議とそのファンタジーはヒトラーと東条英機が生きていたことより呑み込みやすい。
この21世紀にも、カンフーの精神はガーナで受け継がれているのです。
俺もお前もガーナアーリア人だ
さて、そんな素晴らしい『アフリカン・カンフー・ナチス』ですが、私が思う唯一無二の魅力はその気楽さです。昔のジャッキー映画みたいに全編コメディタッチで進んでいくのもそうですが、観ているとなんだか他にはない楽しさが伝わってくるのです。
ゆるさ、と言うとちょっと違う。
演者も撮影側も"楽しい仕事をしている"という意識がスクリーンから伝わってくるかのような多幸感。
『"エクスペンダブルズ3"観てる感じ』と友人に伝えたらハァ?みたいに言われましたが、とにかくそんな感じなんだよ!!!理解(わか)れ!!!!!
理解(わか)れ!!!!!
理解(わか)っていただけところで、なぜそのようなアッパー系の魅力を放つに至ったのかについてですが、これは監督のセバスチャン・スタイン氏のキャラクターとガーナの気風が噛み合ったことによって生まれた奇跡なのだと考えています。
セバ監督は二日酔いの朝に思いついた『アフリカン・カンフー・ナチス』のタイルトだけを頼みにガーナで映画を撮ってきたという漢の中の漢。役者でもないのにそれに同行して主演を演じた義人さんと共に、そのぶっ飛んだクリエイター魂に敬意を払わざるを得ない。
『アフリカン・カンフー・ナチス』撮影の経緯は各種インタビューや、セバ監督自身で撮影した制作ドキュメンタリーに詳しく、どれも胸躍るエピソードばかりです。
・ヒトラーと東条英機がカラテでガーナを制圧する謎映画「アフリカン・カンフー・ナチス」はいかにして生まれたのか、セバスチャン・スタイン監督インタビュー(ねとらぼ)
・STAGE 1: Hitler 4 Africa 『African Kung Fu Nazis』ドキュメンタリー1/4
端的にまとめるだけでも、
・撮影中はみんな酔っぱらってた
・プロデューサーの車が爆発した
・邪教の儀式と思われてロケ地から追い出された
・監督が警察に捕まった
・酒で買収しようとしてプロデューサーも捕まった
・ふらっと現れた酒の営業マンを現地徴用して出演させた
などなど、上げればキリがありません。
痛快なのが、本作が徹底的に馬鹿にしているファシズム的な価値観とは全く正反対のアプローチで作られていること。ドイツ人もガーナ人も日本人も対等に肩を並べて仕事をし、誰も集合時間は皆守らないし、役者はへそを曲げたら撮影もサボります。
相当な苦労もあったでしょうが、それでもドキュメンタリーの映像では誰もがこの映画に携われることを楽しみ、ベストを尽くして撮影が行われたことが伺えます。
こういった意気込みや、スタッフたちのハッピーな気持ちがスクリーンを通じて我々観客に伝わり、本作だけが持つ不可思議な魅力となっているのではないでしょうか。
恐らくそれは本作の旺盛なファンダム活動の遠因でもあるのでしょう。
現在、この映画に洗脳された名誉ガーナアーリア人たちによって、本作の劇中・撮影中ともに飲まれまくりなお酒"アドンコ"を輸入せんとする計画がTwitterを中心に企てられており、法だの関税だのの壁を越えてその成果が結実しつつあります。
ただの馬鹿映画じゃここまでのパワーは起こりません!
"俺もアドンコ飲んで、ガーナアーリア人になりてぇ~"
と観るものに思わせるこの映画のパワーを、是非一人でも多くの人に感じてもらいたい。
2021年6月現在、全国の劇場で順次上映されておりますので、
お近くの劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。
そしてお前もガーナアーリア人になるのだ!
シ・カ!